本研究は、戦争記憶の継承について、戦争体験の語りと共有に関する実態の国際間比較を通じて議論することで、ナショナリズムに収斂しない記憶研究の地平を拓くことを目指す。
戦争の集合的記憶に関する先行研究では、各国における被害の記憶がナショナリズムに取り込まれ、和解を妨げる構造があると指摘される。そこで本研究で注目するのが「被害の競合」ではなく、「戦争トラウマの共有」である。戦争や戦時性暴力によって生じたトラウマからの回復や喪の作業として重要なのが、トラウマの物語化・表象化である。トラウマ的記憶を物語記憶として想起可能な記憶へと変換させる行為は、これまで極めて個人的なものとされてきた。しかしその行為が文化・歴史的な表現形式をとることに注目すると、医療だけでなく人文社会的にもトラウマを扱う意義があると指摘される。
そこで本研究は、日独の戦跡観光(越智)・中国の家族関係(石井)の事例研究を基に、戦争トラウマがツーリズムという公共性、あるいは家族という親密性の中において語り共有される様相を取り上げ、他者と痛みを分かち合いながら生きる意味を論じることで、グローバルな戦争記憶を扱う意義を示したい。
